いろいろと変わっていく自分は一貫性のないダメな人間か

7月12日(水)に、半年以上ぶりに

以前使っていた、メルマガスタンドの

リザーブストック(通称リザスト)で、

メルマガを配信してみました。

自分の感覚を確認しながら進む

最近の私は、

「この感覚は本当か?」

「あの時の選択は、本来の私の力から生まれたか?」

「今私はどう感じているだろう?」

ということを、結構しっかり見ているところ。


「あの人がいいって言ったから。」

「この人がやってて結果出てたから。」

「あの人がこうしたらいいよって言ったから。」


そういうところで判断して動いていた自分も

決して悪くはないし、それはそれで、

その時の自分にとってはベストな選択だったと思う。

一生懸命やってたことに間違いはない。


でも、そうやって外側の声を聞いていたけど、

実際、自分の声って、どれだけ聞かれていただろう?

というところに立ち返ると、

「もう一回リザストのシステムを使ってみたいな」とか

「やっぱり公式LINEって手軽だよね」とか。

そういう気持ちも拭えず。

葛藤が生まれたらノートを開く

とはいえ、今まで

「公式LINEからメルマガへ変更をお願いします」

「このメルマガからこちらのメルマガへ変更をお願いします」

と、公言してきたから、そう言った手前、

「やっぱり公式LINEを再開します」とか

「こっちのメルマガも動かします」とか言ったら、

周りからどう思われるだろう?

「一貫性のない人」

って思われて、信用を失っちゃうんじゃないか。

とか。

色々とぐるぐる考えたりしていたのですが。

「私はなぜ、そういう風に感じるのかな?」

「なにが本当は不安なのかな?」

「信用を失うって、私にとって何を意味するのかな?」

「一貫性がないのをダメって思っているのは、なぜかな?」

そういうことを、ノートに書いて一つ一つ見ていくと。

「うん、こうしよう」

と、決めることができて、動き出せる。

「一貫性」も大事だけど「柔軟性」もあっていいんじゃないかな

最近本で読んで知ったけど、結構この

「一貫性」ってある意味、人の心理に

大きな影響を及ぼす「罠」みたいな要素もあるなぁ、と感じていて。

周りは色々思うかも知れないけど、

私は私の人生を決めて動くんだ、と

その自由さを感じながら生きていくんだと

感じているところです。

これは「メンター」と呼ばれる人を選ぶ上でも

影響しているなーって感じています。

「メンターがいろいろいる自分って、ダメなやつ」

って思っていた私から、ノートに書いた気づきをブログに書きました。

読んでみてくださいね。

「メンターと呼ばれる人は複数いても大丈夫」


「自分で決めて生きるんだ」と決めた日から

ちょうど1ヶ月。

動画講座も6本生み出しておりました。

動画講座一覧


リザストのメルマガで紹介したら

「刺さりました」と反響のあった記事。

「自分の力を無かったことにしない」


今度、この講座を受けて、

告知記事の視点を別の角度から学んでみようと思っています。

ご一緒しませんか?

2023年7月21日(金)に受講します。

「7/21(金)開催!商品を買ってもらうための記事が書けるようになる!告知記事の書き方セミナー」

無料メールマガジン発行しています